1990年から「東京都平和の日」とする東京都条例が制定されている日。
1945年3月10日、大規模な東京大空襲が行われた日。
米軍の記録には、4箇所の焼夷弾投下目標地点の1箇所として我が家から僅か数十メートルの地点が記されているという。
当時、幼少だった私の父は祖母に連れられて逃げ惑い、逃げ遅れで避難所に入れず、そして逃げ道としての声が挙がったあの「言問橋」も渡る事が出来なかったらしい。
しかしその結果、生き残れる道を歩めたと聞いている。
きっと無我夢中、紙一重の行動判断だったのだろう。
そしてその紙一重で私が存在している。
墨田区には、関東大震災と空襲による犠牲者を祀る「東京都慰霊堂」がある。
しかし関東大震災での教訓は日頃の暮らしの中で伝えられているが、空襲については強く教育を受けた記憶が無い。
「東京都慰霊堂」という名称も、身の周りでは「震災祈念堂」という私が生まれる前の名称が今でも使われている。
空襲当時を知る先輩職人さんは、公式に記録されている犠牲者数と本人が目にした現実とに大きな疑問を感じていると話していた。
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今日、倅が通う学校では「東京都平和の日」平和を考える集会があるという。
「聞く」「知る」「伝える」大切さを考えたい。
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